お侍様 小劇場

   “…ってもいいですか?” (お侍 番外編 60)

 

間近い海からのものだろう潮の香も、
朝晩の涼やかな風の中では ただただ清か。
俗界の雑事騒音を、じわり蒸すような暑さごと置き去りにして。
何もかもから解放されたい、
さりとて、完全に隔絶されても困る身には。
しばし雲隠れするのに格好の、
なんとも希有な宿がある。
単に不便で侘しい土地にある 鄙びたそれというのじゃあなくて。
所在地も都市近郊ならば、
交通も通信その他も、設備充実という、
何となれば即座に“現実”への復帰が可能な宿であり。
だというのに、
着いてしまえば、こそこそと隠れる素振りは一切要らぬ、
充実したもてなしの中で伸び伸びと羽伸ばしの出来る、
それこそ、現代に於ける“隠れ里”のようなところであって。
それがため、
日頃の始終を人目に触れる場にいることを強要されるような、
その世界の重鎮、要人といった、限られた人々にしか知られてはない、
真実 眞の“選ばれた人”のみが重用している代物なのだが。




 「……如何したか?」

その緑の中へと張り出したバルコニーを縁取っている、
瑞々しい松林の向こうはいきなり海になっているものか。
広々と開けた視野の中には、
水平線が分かつ、空と海、二つの青が見えるばかり。
何の人造物にても遮られぬ、広大渺茫たる景観を、
ただただいい景色だと眺めているにしては、
微妙に間合いが長いのへと気がついて。
真新しい畳を白く光らせる、目映いばかりな陽の差す窓辺へ張りついて、
こちらへは背中を向けたままの連れへと声をかければ、

 「あ、いえ…、///////」

少々慌てたように振り返って来たものだから。
余程のこと、呆気ていた彼であったらしくって。
そんな様子なのへこそ ほだされて、
口許をたわめると くすすと微笑ってやり、

 「よもや、こんなところに来てまで、
  洗濯日和だとか何とか、思うておるのではなかろうな。」

それがいけないとは言わないが、というのを暗に含んでの、
苦笑混じりに訊いてみたところ。
色白な頬をうつむかせ、

 「あ、あの、はい。干して来ればよかったかなとは…」
 「……☆」

あ、でもでも、乾いたのを取り込む人がいませんし、
そのくらいのことをいちいちヘイさんに頼むというのも何ですし、
じゃあなくて…あのえと、/////////  と。
よほどのことに図星すぎたか、
取り繕いにしちゃあ、どんどんと墓穴になってるようなことをば並べて、
ますます焦っている彼なのへ、

 「……シチ。」
 「あ、っははいっ!」

怒るでなく叱るでなくの、口許和ませ、されど呼び方を限定すれば、

 “…おや。”

言い繕いが止まったのと同時、
体の側線へ降ろされていた手が、きゅうと握り込まれたのが判り。
それがまた勘兵衛の口許へと、くすぐったげな苦笑を招いてやまなかったりし。
一体なにごとを覚悟しての緊張なものか、
勘兵衛としては身に覚えがあり過ぎて、

 「…そうそう餓
(かつ)えてはおらぬ。堅くなられる方が困るというものぞ。」
 「……………すみません。////////」

何をお求めと想像した反応か、
そこをすっぱりと言い当てられて。
あああ、恥ずかしいとますます赤くなる女房殿。
なめらかな線にふちどられた頬は、いつまでも若々しくて、
されど、そりゃあ幼かった頃合いに比べれば、
そこはさすがに大人になってもおり。

 “青かったのはお互い様だが…。”

それでも、そうだったと振り返ることが出来るのは、
ここ最近の“急転”のせいだなと。
尚のこと、その目許をなごませる勘兵衛だったりするのである。
そんな彼の思惑には、まだ少々追いついてはない女房殿、

 “う〜〜。///////”

双方共にその身が空いたので…という息抜きに、
ちょっと出掛けぬかとの誘いをかけたは今朝いきなり。
男ばかりの3人家族。
働き盛りと食べ盛りが丁度顔を揃えた年代を抱え…ている割には、
主人も高校生のほうも、双方ともに余り手をかけさせないタイプではあるものの。
それでもと、出来得る限りの手を尽くしている家事担当の七郎次なのでと、
こういう機会はめっけもの、ゆっくりと骨休みをせよとばかり、
半ば強引に連れ出した勘兵衛であり。
そして、そんな彼に翻弄されている自身のことより、

 “…あとで久蔵殿から睨まれても知りませんよ?”

まるで自分こそが一番手のかかる存在のような言いようだ、とか。
いやいや、そんな瑣末なことはおいといて、
自分との二人きり、俗世を離れての密会などへと運ぶだなんてと。
次男坊から拗ねてしまわれたらどうしましょうか。
今頃は、
都の剣道協会主催のインターハイ強化練習会の会場へ、
部からの選抜、兵庫先輩と共に到着した頃合いだろに…などと。
ここには不在の寡黙な久蔵のことへなぞ、
ついつい想いが向かった七郎次であったのも、

 “まま、詮無いことではあろうよの。”

意外なことずくめにて、引っ張り回したようなもの。
着替えも用意もさせず、ほれほれと車に乗せての出発と運んだものだから、
本当にその辺の近所へ向かうのだろうと思ったらしい彼でもあって。
キッチンに立ってたそのままの、
着古し同然のTシャツに、チノパンなんていう軽装の極み。
それへと、どこぞかのスポーツチームのロゴが入った、
へらんと薄手の夏向きパーカージャケットを羽織っただけ。
そんな格好で、こんな立派な宿へ来ることとなろうとは、
さすがに思ってなかったことだろう。
女将や従業員の方々による、仰々しいお出迎えこそなかったものの、
通された二間続きの和風な客室の、こしらえを見れば多少は判る。
数寄屋風の床の間や違い棚を据えた一角は、
淡い色合いの漆喰壁なのが、それと気がついた人にはモダンに映り。
二つのお部屋を仕切る間口の、
欄間にはめ込まれた組木細工の手の込みよう。
黒光りがする鴨居のよくよく磨かれたところとか、
そのくせ、縁の錦布へも凝った畳の、青々とした香りもゆかしい新しさとか。
これでも古風なお屋敷に、
生家同様のそれとして10年ほども住まわっていた彼だけに、
そういったものへも目が利くものだから。
いかに場違いな格好の自分なのかも重々判っているに違いなく。
てっきり会社へ出られると思って身支度をさせた勘兵衛が、
その上着を自らの手で脱いでいるのへと、
そんな姿を視野に収めてから やっと気づいてはっとしたほどの上の空。

 「あ、す、すいません。」

気がつきませんでしたと、窓辺から間際にまで慌てて戻って来た彼だったので。
ここで“構うな”と言えば突き放すことにつながろうと、
そのくらいは気も回った御主様。
肩を抜きかけていたそれ、後は任せて手を放せば、
襟元や前の合わせへと背後から延べられた白い手が、
こちらへは無理強いさせない手際のよさで、スルリと剥いてしまう鮮やかさ。
何畳あるものか、広々とした居室の端っこ、
襖の間際に置かれてあった黒塗りの乱れ箱へと眸をやり、
そこにおいてあったハンガーを手に取ると、
しわを延ばしつつ丁寧に掛けたそれ、一時 鴨居へと預けるように引っかけて。
次はと…目礼してから手が伸びたのがネクタイへ。
数刻前に彼自身が結んだそれを、
しゅるりと小気味のいい衣擦れの音を鳴らしてほどくと、
無理から引き抜くというよな不調法はせずの、
肩を覆うほどもの長さの勘兵衛の髪へと手を入れ、
南国の花飾りのレイを掛けるの、逆回しにするような所作にて、
襟元から浮かせて取り除き。
二分した左右の長さをそろえ、
やはりハンガーへ掛けようと背を向けたところへと、

  あ……。

ふわりと香った精悍な匂いとそれから、
少しばかりうつむいた彼だったのか、
背丈の差から、こちらの肩先へまでこぼれて来た、
長い蓬髪の先がくすぐったくて。

 「……、勘兵衛様。」

逃さぬように、若しくは警戒も抵抗も封じるためにというような。
慌ただしくも攻性滲ませた鋭さはない、
むしろ至ってやわらかな動きでのこと。
いかにも大人の男の持ち物である、長くて精悍な双腕が伸ばされて来ていて。
こちらの両の二の腕ごと、七郎次の胸元をぐるりと、
抱きすくめてしまっておいで。

 “……えっと。////////”

いきなり取って食いはせぬとか何とか、
先程 鷹揚に言ってのけたのは一体どなただったやら。
まま確かに、シャツ越しに触れた肌や、
思わずのこと肩越しに見上げたところへと、
向こうからも降りて来た深色の眼差しには、過ぎたる熱もないようで。
自宅ではない かりそめの場だということが、
泰然とした態度が常の壮年殿にはらしくもない、
稚気滲ませたる こんな態度を取らせたものかも知れず。
そんなこんなと思っておれば、

 「…今度は堅くはならぬのだな。」
 「……え?」

先程、やや緊張して見せたように。
以前のお主なら、このような戯れを唐突にしかければ、
まだ陽は高いだの、片付けてしまわねばだの並べつつ、
ありありと背条や肩を強ばらせ、
そりゃあ見事に怯え竦んでしまったものだのにと。
低めた声ではあったものの、
落ち着き払った静かな口調で紡がれた勘兵衛だったのへ、

 「…そう、でしたか?」

自分では覚えがなかったか、
七郎次が返した声には、作為的な様子は微塵もなくて。
ただ、だとすればと感じるものがあったのか。
真白いうなじにはその輪郭も溶け込みそうな、
軽く束ねただけな金絲の房が、
少しほど揺れて…肩の上にて後れ毛が散った。
何かしら深慮を始めた素振り、
無意識のうち、かすかに小首を傾げたせいであり、

 「……。」

随分と失礼をしていたのだなと思える自分がいる。
私のすべてはあなたのものだと言いながら、
いつまでも警戒じみた身構えが抜けず、
そしてそれが勘兵衛をどれほど傷つけていたことか。
今なら判ると感じ入り、
「……。」
その肩が少しほど萎えたので、

 「なんの。あれはあれでまた、そういう趣向だと割り切ってもおったれば。」

勘兵衛がくつくつと笑ったのは、
こちらが“済まなかった”という想いにひしがれたのへと、
気づいてくださったからだろう。
瑣末なことへなぞ目もゆかぬ、気が利かないほどに豪胆で。
そういう強くて揺るがぬお人であってこそ、
総帥・宗主にふさわしきと思っていたが。

  そんなことはとんでもない思い違い。

彼もまた、その深くて優しい懐ろへ、
いつもいつも七郎次への思いやりを満々と満たしておいで。
時に強引な素振りをなさったのも、
こちらがどこかで抗っていたのを見抜いておいでだったから。
いつかは捨て置かれねばならぬ立場だと、
頑なに言い張っていたその同じ心根に、
そうなることを他でもない七郎次自身が怖がっているの、
誰よりも真っ直ぐに見透かしておいでだったからこそ。
そんな杞憂など捨ててしまえと、
こうまでも欲しておるのだからと言いたくて。
我慢が嵩じたもののよに見せかけての、なりふり構わぬ我儘な振る舞い。
演じて見せてもくださったのだと、今になって気がついて。

 「…勿体のうございます。」

その懐ろへ、こちらの肩や背がすっぽりとくるまれてしまう頼もしさ。
屈強な上背とそれから、頼もしい双腕とをお持ちなだからだけじゃあない。
頑なで意固地で強情で、
臆病者だった性根がなかなか正せなかった、自分のような者を。
いつまでもいつまでも待っててくださった優しさと強さと。
実直で雄々しい、そんな心根をしたお人なこと、
何よりも雄弁に物語ってる懐ろじゃあないかと思う七郎次であり。
胸元に来ている、重くて大きい骨太な手へそっと触れ、
シャツ越しでもその肉置きの充実が判る、
それは雄々しき胸板へ、肩の裏にて寄り添うて。

  長年強情張り続けた自分は、
  一体何が怖くてこうして凭れることが出来なんだのかしら

拒んでいたこと、むしろ不思議に思うほど、
こんなにも頼もしい、安らげる場所はないと、
身をゆだねた今、つくづく思う。

  何で信じることが出来なんだのか、
  どうして負担にしかならぬと思い込んでいたものか

見込んでいただいたのだと素直に喜んで、
負担にならぬよう、頑張ればいいだけのことだったのにね。
そうまで卑屈だった自分が、恥ずかしいやら…懐かしいやら。

 「…勘兵衛様。」
 「んん?」

こちらの髪へその鼻先を寄せておいでの御主へと、
含羞みながらも、至福を感じる。
ああ、どう訊いたらいいのだろうか。


  ―― 今もシチは、あなたのお好きな七郎次でいられているのかと。







  〜Fine〜 09.07.13.


  *出来ますれば、きんきんに冷房をかけた環境で、
   お読みくださることをお薦め致します。
(う〜ん)
   この暑いのにべたべたとしたお話ですいません。
   おさま、次男坊に負けるものかと奮起したらしいです。
   鬼の居ぬ間のアバンチュールです。

   ……いや、それは冗談ですが。
(苦笑)

  *ちょこっとスタミナが切れたので、
   このお話、一旦ここでの“寸止め”といたしますが、
   元気が回復し次第…………、ふっふっふっふvv
(おいおい)

 **お待たせしました…と言えるほど、大したものでもないですが。
   宵の部を追加です。
  ちみっと女性向vv

 
めーるふぉーむvv
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